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有限会社月下
月下ツァー

月下タイ旅行2004
 

タイ・チェンマイ水掛祭り2005



NSDP,DPI〜アジアの障害者支援をまとめている事務所です。
私たちの荷物はタイ南部のスマトラ沖地震の被災地へ運ばれます。

初めての海外旅行 ・・・・ 雄

タイに着いて初めに行った所では、先生の会社でたくさんの人達から預かつたお金や車椅子を渡しました。みんなでパスからたくさんの荷物を運びました。僕が代表してお金を渡し、スマトラ地震の写真を見せてもらいました。写真にはグチヤグチヤになった車や、家が写っていました。僕は札幌がそうなったら大変だなあ−と思いました.次に行ったのは障害者の人達がいるとこるにいきました。文房具とかを渡した人は、手も足もも無くて車椅子に座っていました。でも、とても上手な絵を描いていました。僕は絵が下手なのでいいな−と思いました。きっとたくさん練習したんだろうと思いました。
帰る時にはバスにいっしょうけんめい手を振ってくれました。

次に行ったのは孤児院に行きました。
僕は孤児院ってどんな所か全然わかりませんでした。でも、タイに行く前にお母さんから色々な話を聞き、えんぴつや消しゴムが無くて困っていると聞いたので、おこづかいで少しずつ買ったり、自分や友達の使わない物を持って行きました。
その数は鉛筆243本、消しゴム149個、あめ玉128個でした。そこには200人以上の子供がいるけど、全員には会えませんでした。そこに住む子供たちは親も、兄弟もいないからみんなで暮らしていました。集めたえんぴつや消しゴムをあげると、両手をあわせて、頭を下げて僕にお札をしてくれました。僕達が使わなくなった物を大切そうにしているのを見て、僕たちはぜいたくだなあ−とおもいました.
えんぴつ1本、消しゴムー個を今度からは大切にしないとダメだと思いました。そのあとタイにはここよりも、もっと大変なとこるがある話を聞きました。自分が今、何歳かも知らない子や、お金のために親が子供を売る事、病気になり働けなくなったらゴミ袋に入れてゴミ捨場に連れて行かれること。
世界には日本では考えられないことがたくさんあって、生きていたくても、生きていられない子供や、学校に行きたくても、行けない子供がたくさんんいると聞いて僕はピックリしました。多くの子供は「エイズ」と言う病気で死んでいくそうです。この病気は治らない病気で、お母さんがエイズになり子供を産むと、子供に移り子供がエイズになってしまい、その子供は長くは生きられないそうです.

タイでは楽しいこともたくさんしました。大きな象の背中に乗り山の中を40分位まわり途中で川に入ったり、山小屋みたいところでバナナを買い、乗っている象にあげたりしました。川のそばに日本では見たことのないめずらしいチョウもみれました。そのあと象のショーをみました。象がダンスをしたり筆で絵を描いたり、二本足で立ったりもしました。一緒に行ったてん乗員のお兄さんが、僕をショーの所に呼んでくれて二匹の象の鼻にも乗せでもらえました。日本から象使いの人に渡すズボンを僕はあずかっていたので、
それをその人に渡しました。タイはお正月で「水掛まつり」をやっていました。
小さいトラックみたな車の荷台に乗るのですが、日本でやると捕まるので本当に乗っていいのか心配でした。僕は水掛まつりのために日本から、水鉄砲を持って行ったので、たくさん水を入れて荷台に座ったまま道路にでると、たくさんの町の人達にバケツや、ホースで水を掛けられたので、僕も水鉄砲でたくさん掛けました。服がぴちゃぴもやのまま市場に行くと、てん乗員のお兄さんが「マンゴスチン」と言うフルーツがおいしいからとむき方を僕に教えてくれました。食ペたことがないからちょっと不安だったけど食べてみたらすごく、すごくおいしくていっぱい買ってたペました。しぶ柿みたいだけど、手でむいて食べるとすごく甘くておいしかったから、たくさん買いホテルの部屋に帰ってから、お風呂に入りながらもたべました。串カツみたい
のもおいしかったです。市場からホテルに帰る時もまた水を掛けられ寒くなりました。

僕は初めて海外旅行に行きました。日本円以外のお金を計算しながら買い物をしたり、食べたことの無いものを食べれたり色々なことができて、と
もいい体験ができました。一緒に行ってくれた大人の人達に、とても優しくしてもらってみんなと又、海外旅行に行きたいと思いました。この旅行に行く前、僕の将来の夢はお医者さんでした。でもこの旅行に行って、てん乗員のお兄さんに優しくしてもらい、大人になったらお兄さんのようにいろんな国の言葉を話せる、優しいてん乗員さんになりたいと思いました。
そして、こんな所に連れて行ってくれる、先生に僕の名前をつけてもらえたのが、うれしいと思いました。

感想文 ・・・・ 菜穂子

千歳空港で車椅子を受け取る、そう私の月下の旅行はそこから始まったのです。そして皆の思いは、車イスや古着、文具と一緒にタイへと旅立ったのです。
バンコクで訪問した施設では、こちらのニュースでは知ることの出来ない現地の状況を知ることが出来ました。
何よりも直接現地へ救済の為にと届けられる確信を得ることが出来ました。
そしてチェンマイの最後に行った施設では、沢山の子供たちに会うことが出来ました。他の施設の子供はお祭りで皆帰省して居なかったのに、此処の子供たちは居るのです。あの子達に必要なものは服でもなく、文具でもなく、お菓子でもないのかもしれない。その日の夜に聞いた新松さんの話や、主先生のプリントはとても衝撃的な話でした。
何時の世も、弱いもの、抵抗の出来ないものが泣くのでしょうか。
やりきれない思いで胸がいっぱいです。

この旅行で私は象に乗ることがとても楽しみでした。
でもそれはよくある公園をポニーに乗って一周するようなものでは・・・なんて、勝手な想像はもろくも。。
川の中を、山のなかを、しつかりトレッキングしたのです。
乗ってる間は夢ごこち・・タイの王様にでもなった気分?
ちなみに私の隣で足を踏ん張っている山田さんは、
ある映画の主人公になった気分とか・・(星になった少年、見に行こうね!)

さてもうひとつ、これも此処まで想像も準備もしていなかった
たかをくくっていた水掛祭りホテルの前に待っていた、ドラム缶を積んだ小型トラックを見た時は
うん??2班に分け乗り込んだ途端、まさしく先頭開始状態私用意した 水中メガネ(くもって役立たず) 汚れてよい服(水にぬれてずれ落ちる、水着にすべき)水鉄砲(ショボイものはだめ?)
その激しさといったら まさしく ”水ぶっ掛け祭り” だったのです。
でもチェンマイの人はおめでとうと、水を掛け合います。
どんなにひどくかけられても それが冷たい氷水でも どろ水でも 
おこる人はいません。
(もちろんこの時とばかり味方攻撃など・・・)なんて素敵なお祭りでしょう雄君 一番はりきって 一番活躍してましたよね

最後の香港では無念にもダウンしてしまいましたが
皆の暖かい心使いに触れて 不安もなく 私は幸せでした
そして何よりも仕事とはいえ 新松さんのプロ以上の細かな心使いにただただ感心 感謝につきるのです
そして主先生の行動力とパワフルさとやさしい心使いに感謝します。ただの観光で訪れたたのなら、知ることはなかったでしょう
触れることもなかったでしょう
やり場のない思いもしなかったでしょう
でも私の旅の目的は その国に触れること そして知ること
行くときに持っていった車椅子や古着、文具はなくなったけれど
その分帰りの私の心の中は いろんな思いという荷物で いっぱいになりました